「僕とゲンゴロウ」(隠しページ)
'02.3/22


 なぜ買ったのかは覚えていません。ただもの珍しかったのでしょう。10歳前後の僕は、当時300 円くらいだったゲンゴロウと、値段はすっかり忘れたけれどゲンゴロウの飼い方の載っているポケ ットブック(薄っぺらで、たしか絵がほとんどだった気がする)を買うと、プラケースでなんとなく飼 いはじめました。
 そのころは学校の裏にあった3面コンクリの川でザリガニ捕っては赤マッカだのな んだのとやっていたので、命の価値なんてまったく知りませんでした。生き物なんてこんこんと沸いて、 尽きることのない泉の水のようなものでした。

 ゲンゴロウはお金を出して買ったしその川でも取れないし、はじめはむやみなことはしないでそのポ ケットブックのとおりに飼っていたと思います。でも薄れた記憶をたどると、そのうち興味を失ってそ の年の冬には死なせてしまった気がします。
 冬は冬できっと普通の子供らしく、雪だるまをつく ったり家でファミコンをやったりしていたのでしょう。

 そういえばファミコンで、F1なんとか(?)というのがあって当時僕はちょっとだけうまかったので すが、Hくんというどこのクラスでもひとりいるような、手の早いガキ大将(おまけにスポーツ万能で ハンサム)が遊びに来て、彼に勝つと学校でなにされるか分からないのでわざとギリギリのところ で負けて彼を誉めたりしていました。10歳には10歳なりの処世術というものがあったのですね、 振りかえってみるとはっとします。

 きっとそんなことをやっていて、ゲンゴロウなんてどうでもよくなってしまったんでしょう。そして 冬が去ってまた川に行けるようになると、やれ赤マッカだのなんだのやり始めたことと思います。後 にも先にもゲンゴロウを飼育していた記憶はこれっきりです。

 どういうきっかけでまた再びゲンゴロウに気持ちが移ることになったのか覚えていません。どうして だろう。とにかく20歳を過ぎて彼女と貸し家に住んでいたころ、2階の窓際に水槽を飾っていまし た。でも中にはまだゲンゴロウはいません。当時は欲しくてもどこで捕れるのか、どこで売っている のかさっぱり分かりませんでした。
 そのころはトラックで産廃の回収の仕事をしていたので、いろん なところに行っては近くのペットショップやアクアショップで探したりしていました。そんなふうに して探しても手に入らないのが、さらに所有欲をこすこすと高める原因になっていたかもしれません。 ゲンゴロウはどうしても手にいれられませんでした。うん、だからはじめはいなかった。いったいそ の2階の水槽でなにを飼っていたんだろう。それも覚えてないや。ほんの最近だと思っていたことが、 双眼鏡を逆からのぞいてしまったようにとっても遠くにいってしまっていることを痛感させられます。

 そのうちガムシとクロゲンゴロウを捕るんです。それだってたいしたことだった。

 クロゲンを捕ったのは秋が終わりを告げようとしている10月の、友達の別荘の近くの公園の人工池 でした。何度か前から、たくさんのミズカマキリやちっちゃいゲンゴロウが泳いでいるのを見かけて いたのでもしかしたら普通のゲンゴロウも捕れるんじゃないかと目を光らせていました。
 はっきり言 ってその友達の別荘に行くのは、この人工池が一番の目的でした。今回は誰々ちゃんが行くとか、な んとかランドっていうところへ行こうとか、うちはお風呂が温泉なんだよ、とかいろいろ言ってい ましたが、僕にとっては人工池が友達でありなんとかランドであり、温泉でした。どこだって勝手に 行ってこいよ、けっ、という感じでした、はっきり言うと。
 そこでとうとう大物を見つけま した。そのときは名前なんて知りません。ただ、まっクロいゲンゴロウ!と思いました。今でいうク ロゲンゴロウですね。すぐに素手でがばっと捕まえるとちっちゃい声で何度も何度もやった、やった、 やった」と言いました。感極まりました。そのクロゲンは後肢が片方なかったのですが、持って帰っ てものすごく大事にしました。それからしばらくは2階の水槽は、一匹のクロゲンがメインでした。

 とにかくゲンゴロウはもっと後です。もっと経って、インターネットである有名な水生昆虫専門 店というものがあるということを知ってからです。世界はウニのように、あらゆる方角に需要の触手 を伸ばしているのです。そしてそのどれに触れてもきちんとぴくっぴくっと反応するのです。僕はそ の店の存在を知ってぴくっと震えました。これだ、と。
 そこでは通販も受けつけているというので、さっそく購入して送ってもらいました。10何年経って ひさしぶりに見るそれはなんとも言えない眩しさでした。記憶の残滓が放つかすかな残り火が、お好 み焼きの透明パックに詰め込まれて戻ってきたのです。なんとも言えませんでした。
 お腹を見て、あれ?ゲンゴロウってこんなエグかったっけ、なんて思ったものです。ノスタルジーは どうも思い出を美化していけません。

 こうして2度目のゲンゴロウ飼育が始まりました。今回は小学生のころのようにアッというまの、鮮烈 で一瞬の打ち上げ花火のような好奇心の爆発で終わることもなく、今のところ今日まで続いています。

 そしてようやく繁殖に成功したのは去年。再び飼い始めてから3年目が経っていました。飼っている 方は既にご存知なこととは思いますが、これはこれでまた最高に嬉しい出来事でした。
 嬉しさがつい脊髄を強烈に刺激して、このオレがオレが世界をゲンゴロウでいっぱいに埋め尽くして やるふっふっふっと思ったものです。今でもそれはほんのりと残っていて、ゲンゴロウが貴重種だの 絶滅が危ぶまれるだのと言われることのないくらい、それこそ学校の裏の水場で普通に見られるくら いになればいいのにな、と思ったりしています。



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